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登録有形文化財​ 鯛よし百番​ 建築について

 鯛よし百番は、大正・昭和初期の遊廓建築を骨格としつつ、戦後復興期における料亭のデザインを今日に伝える近代和風建築である。建物の竣工年次、および開業時の屋号は確認できていない。資料などから飛田廓の開業( 大正7年に仮開業) から遅れて、大正末から昭和3年までに建設されたものと推定される。戦後、売春防止法の施行を控えて観光旅館に業態を転換、昭和29年頃から「国際観光御殿 百番 桃山閣」などの名称で営業を行なっている。 
 現存する建物は、内装・外装ともに昭和20年代か30年代にかけて、大幅に改築された姿を伝えている。当時の経営者は大工や絵師を雇い、織豊期の書院建築に倣った座敷、東照宮や北野天満宮を模した諸室など、みずからの好みである桃山時代風の華やかな意匠に各部屋を改めた。対して外観は、太格子の並ぶ遊郭風の意匠とした。
 令和4年、多くの方からの寄付を元に傷んだ内装を修理し、一部に新たなアートを導入した。

説明文:建築史家・工学博士 橋爪紳也
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桃山殿 

桃山文化の織りなす三間続きの大広間

​「牡丹の間」「鳳凰の間」「紫苑殿」と続く三間をまとめて「桃山殿」ともよぶ。百番で最も大きく、豪華なところである。各部屋の名にちなむ装飾が施されている。

​喜多八の間

東海道五十三次 大井川の渡し

奥の舟形縁は3畳間になっており、つまり屋形船で食事をする状況を演出している。

天井を飾る木彫「大井川を渡る」は目賀秀男氏の作品。

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​由良の間

​折り上げ格天井の格式あるお部屋

2階では格式のあるお部屋。天井は花の絵を描く。四辺外側の升には赤穂四十七士の名。

​紫式部の間

和歌の世界に誘う装飾

部屋の天井は船底天井。床の間の前に桔梗が描かれ

火頭障子窓などの装飾がある。

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